困難な時代を生きていくために/天気の良し悪しと自尊心/成果物の価値と自分の価値

困難な時代を生きていくために/天気の良し悪しと自尊心/成果物の価値と自分の価値

天気が良くないときには、うまく頭が回らなくて、原稿が進まなかったりします。もちろんそれはあまり気分が良くなくて、嫌な感じがします。その嫌な感じをもう少しよく考えてみると、天気が良くないことや、頭が回らないことや、原稿が進まないこと自体が嫌な感じじゃないと気がつきます。もちろん、それちょっと言い過ぎなんですが、本当に嫌な感じをもたらしているのは「自尊心が傷つけられる」という部分じゃないかなと思うのです。

様々な理由で、自分が何か能力を発揮できないときに、能力を発揮できないこと自体ではなくて「自分はその程度の存在なのか」のようなネガティブな感覚を抱くところがポイントなんじゃないでしょうか。先程言った「自尊心が傷つけられいる」というのはそういう意味です。

自分が能力を発揮できないことと、自尊心が傷つけられることの間には少しギャップがありますので、その違いをよく認識することは、メンタル的に良い効果をもたらすんじゃないかと想像して話しています。

この話題は、よく考えることがあります。低気圧で頭が回らないことがしょっちゅうあるからです。毎回毎回天気が良くないときにめげていたなら、心がいくつあっても足りません。天気が悪いときに調子が出ないのは全く不思議ではなくて、それを自分の能力に結びつけるのは間違いです。

それからまた、自分の能力がうまく成果物に発揮できないときもあるわけで、そのときもまた課題の難しさやかけることができる時間との兼ね合いをよく考えることで、能力に問題があるのか、他の要因があるのかを見極める必要があります。単純に成果物だけを見て、他の条件を全く考えずに、能力に結びつけるのは間違っています。単純に事実と異なるからです。

それからまた、現在の自分だけを見て能力を判断するのも間違いでしょう。はじめてのことはうまくいかないのは当たり前で、繰り返しているうちに短い時間で多くのことができるようになります。その変化を理解することは大事でしょう。これはつまり、自分の学習能力や、あるいはもっと比喩的に表現するなら時間への信頼ともいえます。

自分の自尊心が傷つく以前の段階でもたくさんのプロセスがあって、それらをきちんと分析することは、メンタル的に良い効果をもたらすと思います。ですから、それらを分析するだけの心の余裕を前もって確保しておくことは大切でしょう。

私がよく考えるのは、自分という存在と成果物という自分が作り上げるものと分離することです。もう少し言うなら、自分の価値と成果物の価値とを分離することです。

私はクリスチャンですけれど、信仰を得てから今述べた「自分の価値と自分の成果物を分離する」は、大変深く納得するようになりました。

そもそもこの世はかりそめの姿であって、自分の成果物というのももともとはかないものといえます。時間的にも空間的にも、あるいはこの世の価値というものを離れて自分を判断するなら、様々なものの見え方が変わってきます。クリスチャンなら、聖書の神の視点で判断すると表現してもいいかもしれません。

自分の成果物を積み上げることによって、自分の価値を高めようとするのは大変危険です。あるいはまた自分の成果物を積み上げることによって自尊心を守ろうとするのも危険です。なぜならそれは簡単に崩れるからです。あるいはまた様々な要因によってうまくいかないことがどんな人にもあるからです。

成果物などの目に見えるもので自分を支えようとするのは大変危険だということですね。他の人に強制するつもりはあまりないんですけれども、私個人としてはそんなふうに思います。
#結城浩のひとりごと

2023-10-02 06:44:46 +0900

この文章は、音声入力を利用して結城浩のマストドンに投稿したものです。

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結城浩(ゆうき・ひろし) @hyuki


『数学ガール』作者。 結城メルマガWeb連載を毎週書いてます。 文章書きとプログラミングが好きなクリスチャン。2014年日本数学会出版賞受賞。

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